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日本人の談話の規則

来源:学术堂 作者:姚老师
发布于:2014-10-16 共2425字
论文摘要

  1. 談話の認定

  1. 1 談話とは何か

  言語分析は、往々にして、分を最大の単位とし、分の中に見られる各単位について、それぞれの角度から考察を行うことだと思われやすいです。

  実際のコミュニケーションの中で使われている言語の最大の構成単位は分であるとは決して言えない。文はあくまでも < 文章 > 全体の中の一部分である過ぎず,人間のある言語行為の総体は < 文章 > であるべきである。とまとまりの言語行為の全体を表す用語として < 談話 > という言葉を使うことにする。

  1. 2 談話の認定

  ひと口に,ひとまとまりの言語行為の総体といっても,言語行為のどこからどこまでを統一性のあるまとまりであるか規定するのは容易ではない。一般的に,ひとまとまりの談話単位がどこからどこまでかを認定する基準には,以下のようなものがあると考えられる。

  ① 前後に言葉のない空間があること。
  ② 参加者が一定であること。
  ③ 話題に一貫性があること。
  ④ 使用言語が一定であること。
  ⑤ 媒体が一種類であること。
  ⑥ 表現態度が一定であること。

  談話の単位を厳密に規定するのは概して難しいことであり,本教材では,微細な部分には触れず,常識的にみて,ひとつながりの言語行為であると認められるものを <談話 > と呼ぶことにする。

  2. 談話の規則

  2. 1 談話の運用規則

  文には文法があるように,談話にも談話遂行上の規則がある。ある外国語を学ぶ際には,まず文法的正しさを身につけることに重点がおかれる。だが,文法的には正しいが,表現として不適切だという違りがコミュニケーション上では,しばしば現れ,学習者を迷わせることになる。

  教師: 尊敬語の使い方を知っていますか。

  学生: 先週、A 先生が教えました。

  このような会話例の場合,学生の答え方は文法上は何の違りもなく正しい文であるが,表現上は不適切であると言わざるを得ない。これは,日本語の待遇性や教授関係への配慮を考慮していないことから生じた違りで,正しくは、< A 先生に教わりました。 > あるいは < A 先生から教えていただきました。 > などと言うべきである。

  また,< は > と < が > の使い分けも,それが正しいかどうかの判定は,会話参加者の情報に対する認知度 < 既知か未知か > に基づいており,これは文レベルの問題ではない。

  こうした問題は,文の分析によっては解決することができず,発話が遂行されている文脈の中で考えなければない,談話のレベルの問題であるというべきである。

  すなわち、言語の規則性は,文レベルを超えた談話のレベルにも及んでいるのであり,一つの言語を習得するためには,談話の規則も文法とあわせる学ばなければならないのである。

  2. 2 < コ,ソ,ア,ド > の文脈指示

  指示詞 < コ,ソ,ア,ド > の指示対象を規定するのは,談話の環境である。指示対象が会話遂行の現場に具体物の場合,< 現場指示 > という規則が働く。一方,指示対象が現場にはなく,会話遂行者の頭の中に抽象的に存在している場合は,< 文脈指示 > という,現場支持とは異なった規則が働くことになる。

  A: 昨日,新宿で火事があったそうだよ。

  B: ああ,それなら私も知っていますよ。テレビでやっていました。あれはずいぶんひどかったみたいですね。

  Bが言っている < それ > < あれ > の指示対象は,どちらも < 新宿の火事 > を示している。ここで,最初に < それ> を使っているのは,< 新宿の火事 > という情報が,この段階 < つまり、Aの発話をBが聞いた時点 > では、Aの意識の中にしか存在していないからである。文脈指示では,情報の送り手は指示対象についてしっかりとした認識を持っているが,情報の受け手はそれをまったく,あるいはほとんど認識していないという場合には,< ソ > が使われるである。上の会話例では,二度目に < 新宿の火事 > を指示するときには,Bは < あれ > を使っている。文脈指示の <ァ> は指示対象が会話者双方にとっての共通の情報である場合に使うもので,ここでは、Bは、< テレビで見た > ことによって,< 新宿の火事 > という情報について十分な認識を持っているということを表明しているのである。

  文脈指示の < ソ > < ア > の使い分けは次のようにまとめることができる。

  ソ: 情報の送り手だけがよく認識している情報。情報の受け手は,これについてまったく,あるいはあまりよく知らない。

  ア: 情報の送り手,受け手の双方によって共通の情報。

  A: この前,京都の嵐山へ行ってきました。

  B: そうですか,あそこはいいところでしょう。私もあそこには何回も行ったことがあるんですよ。あそこに有名な桜餅の店があるんですが,行ってみましたか。

  A: え,それは気がつきませんでした。それ,どの辺にあるんですか。

  B: 渡月橋のすぐたもとですよ。小さなお店だから気がつかなっかたかもしれませんね。

  A: 渡月橋ですか。あそこなら私も通りましたよ。あれもいいところですね。

  この会話例でも,< ソ > と < ア > が巧みに使い分けられている。 < 京都の嵐山 > は情報の受けてであるBにとってもなじみの深い場所であるので,Bは < あそこ > という言葉を使っている。だが,嵐山にあるという < 桜餅の店 >は、Bだけが知っており,Aは知らない,すなわち情報の送り手( B) だけが知っている情報なので、Aは < それ > と言っているのである。また,文脈から,< 渡月橋 > もA,B 双方にとっての共通の情報であるのことがわかる。

  文脈指示における < コ > は,情報の送り手が指示対象を身近なものであると認識している場合に使われるので,情報の送り手しか使うことができない。情報の送り手が指示対象について認識しているかどかは問わない。

  また、文の主題を示す < は > 、文末表現の統一、省略、等を正しく使えるかどうかは表現としての適切を影響している殻、談話時に考えなければならない。

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