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日语寒暄语“早上好”的来源、特点及使用习惯

来源:未知 作者:傻傻地鱼
发布于:2014-09-16 共3556字
论文摘要

  1. 美しい言葉「おはようございます」

  昭和四十年一月、NHK 総合放送文化研究所が『美しい言葉』をテーマに全国の有識者五百人を対象に調査を実施した。では、その内容に移る。

  まず、「日本語の中では美しい言葉だとお考えになった言葉があったっら挙げてください」という質問した。この回答の中の一つ、二つをご紹介すると、こういったことが指摘されている。「美しい言葉とは、美しく話された言葉だと思う、それは相手に明るい,晴れやかな、和やかな、調和的な印象を与え、相した心象を呼び起こす言葉だと思う。」「美しい心、真心のこもった心で話される言葉は美しい」など。

  また「美しい言葉として特定の単語を挙げてください」という項目がある。調査データによると八百五十二語、延べ語数にすると千二百語に上る。これを、最も多くの人が挙げた順序から並べてみたのが次である。

  「ありがとう さよなら はい おはようございます さわやか わたくし あなた さよなら( 略) 」。

  「おはようございいます」は美しい言葉として上位にあるのは、簡単な挨拶言葉だが、愛情をもって心をこめ、いたわり、和の心をもって発せられた言葉だと思われるからである。日常、ごく普通に交わすあいさつの一言にも、私達は相手の心遣いをさりげなく感じ取っているものである。こういう言葉は、それを発する人の優しさ、あるいは行き届いた気持ちといったようなものをしのばせるに足るような言葉である。

  2. 「おはようございます」の語源由来

  おはようの語源は、「お早く○○ですね」などの「お早く( はやく) 」である。この 「お早く」が転じて、「おはよう」となった。また、「おはよう」はその日初めて会った人に言うことから、一部の業界では夜でも人に会った時の挨拶として「おはよう」を用いる。

  『語源由来辞典』にこのように説明している。自分より早くその場所にいた人に対して「お早くお着きでございますね」が略されたものといわれている。つまり、「おはようございます」は「早く起きましたね」「早くつきましたね」の省略形式で、相手の早起きと勤め励む姿への称賛である。

  「おはようございます」は「お」+ 「はよう」+ 「ございまいます」の三つの部分から成り立つ。実は、この三部分は、それぞれ異なる文法を含めている。分析は以下のようである。

  「お」は敬語の接頭語である。相手や第三者に対する敬意を表す。そして、丁寧の意を表し、上品に表現する。

  「おはようございます」では形容詞の前に「お」接頭語を加えることによって、相手に対する丁寧の意を表す。

  「はやう」は「早い」という単語から転じてきた。「早い」のあとに「ございます」を加えるとき語末で起こった連音変化のことである。敬語体系において近畿方言の強い影響を受けたため、「美しゅうございます」「うれしゅう存じます」のように「ございます」「存じます」に接続する場合に限ってウ音便を用いる。この規則によって、「早い」の「や」は「お段」に変わり、「よ」になる。「よ」のあとに「う」を加えて、「はやう」になった。

  「ございます」は「ござる」に「ます」が接続後、音便が発生してからなるものである。「ござる」この単語はそもそも敬語動詞である。尊敬語として使うとき「いく」「来る」「いる」「ある」の尊敬語である。現在この用法はあまり使われなくなった。ここでの[ございます]は丁寧語である。

  3. 日本文化と独特な表現

  日本に長い間生活した人はこういう現象を察することができるだろう。「おはようございいます」は時間に関わらず、一日中に使える。もう一つの不思議な現象は、「おはようございます、お早いんですね」という言葉をよく耳にする。この言い方は理論的には絶対にありえない言い回しだが、日常会話ではこの用法は根付いておる。外見上も重複し、文字通り同じ言葉が繰り返し二度出てきているが、絶対に誤りだとは言えない。「おはようございます」は朝の挨拶であり、その人にとって早いかどうかは別に問題外である。この語は、意味から考えば、不適当だが、誤りとはいえなくなった。

  「おおばはようございます」は挨拶言葉として、完全に独立したから、「朝、早い」の意はだんだん失われ、話しても聞き手もその早いかどうかに関心を向かなくなった。これは言葉の勢いとか語調が重視されている。それに対し、「こんにちは」「こんばんは」という挨拶が、日本の「相手と自分の立場を考えて言葉を変える」という文化に適合せずに、変化させることが出来ないからである。

  その点、「おはようございます」は、元々「おはよう」で、これが目上の人であれば「おはようございます」と丁寧語な言い方に変化し、同僚などには「おはよう」「おはようさん」「おはよっす」「おす」などと変化をつけることが出来る。それに対し、「こんにちは」と「こんばんは」が「こんにちはございます」と「こんばんはございます」という丁寧な言い方がない。しかし、日本人はウチソト意識が強くて、上下関係がはっきりしている国である。目上の人、上司、ソトの人に必ず丁寧な言い方が必要である。だから、「こんにちは」と「こんばんは」はこういうウチソト意識と上下関係を表す機能を持っていないので、「おはようございます」はその欠落を補い、時間に関係なく場合によって一日中に使えるようになっている。

  もう一つの原因は、芸能界、飲食界、企業、産業界の場合ははパートさんやアルバイトさんをたくさん必要である。新しく入社した人もいれば,退社する人もいて、人の出入りが激しい。こういう場合、誰が何時から働くはいつも定またものではなくて、週あるいは月ごとに変わり続けている。だから、「おはようございます」は「こんにちは/こんばんは」の意味を表すほかに、「これから仕事に入ります」という情報を伝えられると思われる。

  この簡単な一言「おはようございます」は、これから始まる一日に元気を注ぎ、人間関係をもっと調和するものである。こういった言葉は、それを発する人の優しさ、あるいは行き届いた気持ちといったようなものをしのばせる。

  「おはようございます」を交わすことによって、これから楽しくて、元気のある一日を過ごそうと激励し合うという積極的な意味を持っている。そして、何時でも丁寧な挨拶を心がけるということから始まった習慣ということである。

  そういうことで、ある種の業界では何時でも「おはようございます」という挨拶が一般的になったのである。

  4. 薄れてきた挨拶の習慣

  挨拶を交わす機会は多いが、今の生活環境を見ると、団地の中でなどほとんど挨拶が交わさない。日常生活の中で挨拶が交わされるのはまれになってきている。団地の生活は、昔のことわざ「遠くて近いのは男女の仲」をもじって、「近くて遠いのは団地の仲」と言うくらい挨拶を交し合うのは非常に少なくなってきている。

  最近日本の職場では挨拶の習慣が薄れているという。

  ァ≌ィスなどでは机の位置が関係しているようで、たとえば課長だの部長だのの役付職員は大体奥の椅子に座っているので、入り口から入ってきた若い職員が「おはようございます」と言っても偉い人の方まで声が届かない、といったようなことも多少関係があるかもしれない。若い社員が「おはようございます」と言っても上役は挨拶を返すようなことをしない。そのうちに若い社員のほうもなんとなく「おはようございます」というのが照れくさくなって、やがてァ≌ィスの中で挨拶が交わされなくなるというようなことしばしばあるようである。そのほか、挨拶など不要と考える人が増えたのか、不景気や人員削減で気持ちにゆとりが無くなったのか、理由は定かではないが寂しいことである。

  挨拶言葉は私達の日常の言語生活で欠けてはいけない言葉である。人間が他人との間に親和的な社会関係を設定するために、または、すでに設定されている親和的な社会関係に基づいて、それを維持強化するために行う社交、儀礼的な行動様式の一つである。短いから、簡単な一言だからという理由で、略してもかまわないと思うと大間違いである。世の中が騒がしく、毎日の暮らしが忙しく、何かと追い立てられるような日常生活の中だが、挨拶言葉の重みを改めて見直すべきであると思われる。

  参考文献:
  [1]外山滋比古. 美しい日本語―日常語はどうあるべきか―[M]. 日本: 小学館,1983.
  [2]語源由来辞典[EB/OL].
  [3]董建荣. 「おはようございいます」不完全等于“早上好”[J]. 中外教育研究,2010(2) .
  [4]李冬松. 日语寒暄语的相关特征认识[J]. 日本学论坛,2003(4) .
  [5]虞建新. 日语寒暄语的研究———以日本人见面时的寒暄为例[J]. 淮江工学院学报,2011(11) .

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